雲をふむ確かさに居てつくし煮る
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春 |
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評 言 |
この句を収める句集名「和栲(にぎたえ)」は打って柔らかくしてさらした布のことだという。 「雲をふむ確かさ」という逆説のような措辞に込められているのは、長い歳月の間に得た飄飄と撓うような心のありようそのもののような気がする。この逆説のなかにある不思議なあたたかさは何なのだろう。 「つくし煮る」という行為の懐かしさ、あたたかさ、柔らかさ。土筆は春まだ浅い頃、線路際の土手など少し荒れたような土地にも生えてくる。杉菜の胞子茎であり、その可愛らしい姿から「つくしんぼ」とも呼ぶ。1本見つかると次々に見えてくる、不思議な生き物のような感じがする。 日常のようでありしかしそこからもちょっと離れたような「つくし煮る」という行為。はかまを取り、呆けた胞子を取り除いて煮る。茎は透き通った赤みを帯び、鍋の中で小さく震えながら煮詰められてゆく。それを見つめているのは恍惚とした時の流れの中にいるようであろう。 そうした「つくし煮る」であるからこそ「雲をふむ確かさ」という言葉が切ないふくらみをもって届く。 橋閒石は晩年になるほど自由な詩的想像力の働いた句をらくらくと書いているようにみえる。しかもそれが独りよがりの恣意的なものでなく、表現に抑制がきいていて飄逸、句の表情に豊かさをもたらしているようだ。 〈耳垢も目刺のわたも花明り〉〈たましいの玉虫色に春暮れたり〉〈人になる気配もみえず梅雨の猫〉など自在の境地そのもので書かれている。この世界が面白くて仕方ない。 写真提供:Photo by (c)Tomo.Yun |
評 者 |
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備 考 |
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