雨の宮古墳群
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雨の宮古墳群(あめのみやこふんぐん)は、能登半島中央部、石川県鹿島郡中能登町にある古墳の集まりをいう。国の史跡に指定されている。
- ^ a b c d 清水一布『能登部町誌』能登部神社々務所(1936年)
- ^ 『石川県遺跡地図』石川県教育委員会(1992年)
- ^ a b c d 唐川明史「石川県鹿西町内における古墳群分布調査報告」『石川考古学研究会々誌 第29号』石川考古学研究会(1986年)
- ^ a b c d e f g 橋本澄夫・谷内尾晋司『雨の宮古墳群の調査』鹿西町教育委員会(1978年)
- ^ 『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ a b c d e f 中屋克彦ほか「第3章 1号墳」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ a b 『雨の宮古墳群 環境整備事業に係る第一次発掘調査概報』鹿西町教育委員会(1993年)
- ^ a b c d e f g 中屋克彦ほか「第4章 2号墳」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ 大塚初重「第10章 雨の宮古墳群をめぐる諸問題」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ 藤 則雄ほか「第9章 自然科学分析」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ 近藤義郎編『前方後円墳集成 近畿編』山川出版社(1992年)
- ^ 近藤義郎編『前方後円墳集成 中部編』山川出版社(1992年)ほか
- ^ 寺沢 薫「畿内古式土師器の編年と二・三の問題」『矢部遺跡』奈良県史跡名勝天然記念物調査報告第19冊(1986年)
- ^ 赤塚次郎「松河戸様式の設定」『松河戸遺跡』愛知県埋蔵文化財センター(1994年)
- ^ a b c 中屋克彦ほか「第5章 5・6・7号墳」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ 中屋克彦ほか「第6章 17号墳」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ 中屋克彦ほか「第8章 36号墳」『史跡雨の宮古墳群』鹿西町教育委員会(2005年)
- ^ a b 藤井明夫「平面プラン・体積にみる雨の宮1・2号墳」『石川考古学研究会々誌 第31号』石川考古学研究会(1988年)
後期前方後円墳の前方部の発達が顕著でないのは能登の前方後円墳に共通して認められる特徴(『温井古墳群発掘調査報告』からの引用)であり、雨の宮2号墳の平面プランが6世紀初頭まで保存されていた、とする - ^ 谷内尾晋司ほか『温井古墳群発掘調査報告』七尾市教育委員会(1978年)
- ^ 谷内尾晋司「古墳文化」『鹿島町史 資料編(続)上巻』鹿島町(1982年)
- ^ 橋本澄夫「石川県雨の宮古墳群と小田中親王塚古墳」『季刊 考古学 第65号』雄山閣(1998年)ほか
- ^ 清水一布「遺跡」『石川県鹿島郡誌』鹿島郡自治会(1928年)
- ^ 大塚初重「前方後方墳序説」『明治大学人文科学研究所紀要1』(1962年)
- ^ “令和6年能登半島地震による被災状況 中能登町雨の宮古墳群”. 石川考古学研究会. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 石川県雨の宮一号墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 雨の宮古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 雨の宮古墳群出土品(石川県ホームページ)。
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