難波の鴻臚館とは? わかりやすく解説

難波の鴻臚館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 14:33 UTC 版)

鴻臚館」の記事における「難波の鴻臚館」の解説

難波の鴻臚館は難波津渡辺津にあったとされ、現在の大阪府大阪市中央区北区架かる天満橋から天神橋の間、あるいは中央区高麗橋近辺、または中央区心斎橋筋三津寺付近にあったと考えられる古墳時代から畿内の港として往来のあった難波津には外交施設として難波館(なにわのむろつみ)があり、『日本書紀』には継体6年512年12月百済武寧王使者が調を貢献するとともに任那四県の割譲求めて館に留まったとある。これが外国使節宿泊させる客館の初見である。 欽明22年561年)には難波大郡(なにわのおおごおり)にて百済新羅使者接待するそののち推古16年608年4月隋煬帝使者裴世清来訪するにあたって、まず筑紫滞在させ、その間に「高麗館(こまのむろつみの上新館造る」(『日本書紀』)ことで歓迎準備整えている。斉明6年660年5月8日には高句麗使の賀取文が難波館到着した鴻臚館という名称が難波館用いられ年代定かではないが、そののち承和11年844年)に難波の鴻臚館が摂津国国府政庁転用され廃止されたとの記録残っている(『続日本後紀承和11年10月戊子条)。

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