音戸
隠渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:08 UTC 版)
音戸という地名の由来の一つに「隠渡」がある。これはこの海峡を干潮時に歩いて渡ることができたことから隠渡と呼ぶようになったという。 伝承によれば音戸には、奈良時代には人が住んでいたと伝えられている。当時海岸はすべて砂浜で、警固屋と幅3尺(約0.9メートル)の砂州でつながっていた。その付近の集落を“隠れて渡る”から隠渡あるいは隠戸と呼んだ。そしてここを通行していた大阪商人が書きやすいようにと隠渡・隠戸から音戸を用いだしたのがこの名の始まりであるという。その他にも、平家の落人が渡ったことから、あるいは海賊が渡ったことから、呼ばれだしたという伝承もある。 瀬戸内海を横切る主要航路は、朝廷によって難波津から大宰府を繋ぐものとして整備された。古来の倉橋島南側の倉橋町は「長門島」と呼ばれその主要航路で”潮待ちの港”が存在し、さらに遣唐使船がこの島で作られたと推察されているほど古来から造船の島であった。音戸北側に渡子という地名があり、これは7世紀から9世紀に交通の要所の置かれた公設渡船の“渡し守“に由来することから、古来からこの海峡には渡船があったと推定されている。 つまり、遅くとも奈良時代には倉橋島の南を通るルート、そして北であるこの海峡を通るルートが成立していたと考えられている。
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