阿倍野駅の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:06 UTC 版)
起点の今池駅は、平野線が駅の南方で分岐するだけのことであり、駅施設的には他の途中駅と変わらず、現在でも駅の佇まいはほぼ当時のままである。ただし平野線と上町線とが接続する阿倍野駅については、交通量の多い阿倍野交差点における併用軌道上で平面交差しており、阿倍野駅のホームは平野線用と上町線用の計4つのホームが存在した。 平野線の阿倍野駅のホームは、阿倍野交差点の東側に位置する千鳥式ホームで、下り平野方面の線路には緊急時の渡り線が存在した。天王寺駅前発平野行きの電車が、上町線の下り線用ホームを発車すると、阿倍野交差点を左折東進、平野線へ入線後、再び平野線の下り線用ホームに停車したのに対して、平野発天王寺駅前行きの電車は、平野線の上り線用ホームのみに停車し、発車後、交差点を右折北上して上町線の天王寺駅前駅へと向かった。これは当時、上町線の下り線用ホームは阿倍野交差点の北側にあったのに対し、上り線用ホームが阿倍野交差点の南側にあったためである(4つのホームのうち、このホームだけ道路上の白線のみで安全地帯が無かった)。平野から来た列車の扱いは操車係員が恵(恵美須町)・天(天王寺駅前)の何れかのボタンを押し、構内信号が青と同時にブザー・チャイムが鳴り発車する方式を取っていた。なお平野線の廃止後、阿倍野再開発事業によって、あべのベルタ東側の交差点に新駅が新設され(安全地帯も設置)、下りホームとの相対式となっている。 なお、平野線の阿倍野駅ホームは、「阿倍野(斎場前)」として、駅の表示や車内における車掌の停車案内において、上町線のそれと区別されていた(少し前まで交差点名にも「斎場前」が残っていたが、現在は改称されている)。「斎場前」というのは、かつて大阪一といわれた「大阪市立南斎場(阿倍野斎場)」に由来する。火葬施設はのちに瓜破斎場(平野区)に統合されて移転するが、今も都心の一等地に存在する広大な敷地の「大阪市設南霊園(阿倍野墓地)」に、その名残を留めている。
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