阿倍野店の拡張と大規模出店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:34 UTC 版)
「近鉄百貨店」の記事における「阿倍野店の拡張と大規模出店」の解説
第2次増床が完了した阿倍野店ではさらなる増床計画を立案し、1975年(昭和50年)ごろには具体化寸前までいった。しかし、上記のように多店化などへの投資が続いたため、いったんは増床が見送られる。1988年(昭和63年)11月1日にようやく実現して阪急百貨店大阪・うめだ本店(当時)を超える西日本最大の百貨店になった。売場には大阪府のパスポートセンターなどを入居した旅行館やパリ・16区の「コクラン・エネ」のフランチャイズ店などを入居させるなどしてキタ・ミナミの百貨店と差別化を図った。また、この時開業した阿部野橋ターミナルビル新館には当社の阿倍野店新館に加え、近商ストアが展開する生活関連商品の大型専門店「オールウェイズ」、当社の子会社でデベロッパーの近鉄商業開発(1987年設立)が展開する若者向け専門店街「ラ・セレナ」なども開店し、近鉄流通グループの総力をかけた店舗とされている。 それに対し、当社もCIの導入やロゴマークの変更、大規模な流通センターの建設など新たな阿倍野店の建設以外にも大規模な投資を進めている。この翌年には中部近鉄百貨店が経営する名古屋店を「ヤングメッセ近鉄」(後の「近鉄パッセ」)に業態転換することで、「ラ・セレナ」とともに百貨店が弱い若年層の取り込みを図った。 また、これらに先立つ1986年(昭和61年)には新しい阿倍野店や今後の郊外店の実験台も兼ねて橿原店を出店し、奈良そごうや大阪の本店から外商部を展開する大丸や髙島屋への対抗のために奈良店の建て替え・増床を行った。この時点では1店舗展開のみだった阪神百貨店、あるいは首都圏などでの出店を優先した阪急百貨店や大丸、髙島屋、そごうといった在阪他社に比べて関西での店舗数は最大となっている。
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