関与した戦争犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:53 UTC 版)
「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン」の記事における「関与した戦争犯罪」の解説
東部戦線において第11軍にはオットー・オーレンドルフ親衛隊中将率いるアインザッツグルッペンD隊が属していた。この部隊は前線の軍の一つ後方にあって「パルチザン狩り」と称して現地の「パルチザンの温床」とされた人々、ユダヤ人・ロマ・共産主義者などを銃殺あるいはガス殺していた部隊であった。この部隊を創設させたのは国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将であったが、指揮権自体は直属の軍司令部に属した。第11軍に属するアインザッツグルッペンD隊は1941年6月から1942年3月にかけて黒海沿岸やクリミア半島で9万人を殺害したことを指揮官オーレンドルフ自身が後に認めている。 マンシュタインを司令官とする第11軍司令部もアインザッツグルッペンに移送手段を融通することで虐殺行動に力を貸した。しかしマンシュタインは後に裁判で「アインザッツグルッペンの行動で私が知っていたのは東部占領地域の住民を政治的に検査するということだけだった。」と述べ、それを了承した以上の関与はないと主張した。すなわち虐殺まで起こっていたとは知らなかったと述べた。 しかし第11軍司令部付きの将校ウルリヒ・グンツェルト大尉の証言によるとグンツェルトがアインザッツグルッペンの虐殺を目撃しており、それをマンシュタインに報告したという。グンツェルトがアインザッツグルッペンのところに訪れた時、溝の下が死体の山になっており、機関銃で一斉射撃したのち、親衛隊員たちが溝に降りてまだ生きているものをピストルで射殺していたという。あまりの非道さに止めさせようとしたが、親衛隊員たちに追い払われてしまい、すぐに司令部に戻ってマンシュタインに報告し、止めさせるように求めたが、マンシュタインは「私は後方のことには責任を持たない。前線のことだけが私の任務だ。」と聞き流し、また「見たことは口外するな」とグンツェルトに命じたという。グンツェルトはこのマンシュタインの態度について「責任逃れであり、モラルの放棄である」と憤慨している。
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