鍋島県政:県庁体制の普請と並行した旧慣温存としての秩禄秩序の保全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 03:10 UTC 版)
「旧慣温存政策」の記事における「鍋島県政:県庁体制の普請と並行した旧慣温存としての秩禄秩序の保全」の解説
9月から県庁隷下の新行政組織の編成が加速した。沖縄県庁に県警察本署、さらに久米島・宮古島・八重山分署、羽地分署を設置。10月に首里役所が設置された。一方、地方の各間切の番所や各島の蔵元は当面そのままとされ旧慣温存の一環となった。 秩禄秩序については、上級士族は「勲功重きは家禄および領地、軽きは領地」とされ、依然として領地を給与しその年貢を収受させる封建制そのものの旧慣温存となった(ただし永世禄は付与されなかった)が、1879年(明治12年)までには秩禄方針が定まった。なお、王府秩序が消滅したため、秩禄の対象となる士族の戸籍調査すら難窮した。 いっぽう、筑登之以下の旧無禄士族は王府とその秩序の消滅と共に職を失い、これらの手当が新政府・県庁でも課題となった。日々の暮らしに追われ慣れない商売や農業を始める有様であった。 この頃、内務卿は松方正義に交替しており、鍋島は表面上恭順した旧士族、特に生活の宛の無い旧無禄士族のために授産金を下賜する予算を組むよう、県令の立場として中央政府に強く申し入れをした。当時の政府も財政状況が逼迫しており紛糾と遅延を重ねた。結局授産金等が無禄や給付遺漏の士族らに交付されたのは、松方が大蔵卿となり、鍋島が県令を解任された1881年(明治14年)以降となった。
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