針突とは? わかりやすく解説

針突

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 06:56 UTC 版)

沖縄本島の針突(アール・ブール撮影)

針突(はじち、はづき)は、琉球諸島でおこなわれる入れ墨である。

習俗

名称と分布

琉球諸島における入れ墨文化は、喜界島ないし奄美大島を北限、与那国島を南限とする広い範囲に分布する[1][2]。入れ墨を言い表す名称は非常に多様であるが、ハヅキないしハジチがもっとも一般的な名称である。両者をはじめとする「針突」系の名称は、針で突いて入れ墨をほどこすことに由来するが、石垣島などを中心に手突(テーツキ)、竹富島などで色付(イルヅキ)といった呼称も使われる[2]

琉球諸島における入れ墨の名称(特記ない場合吉岡2021による[3]
島名 小地域名 名称
奄美群島 喜界島 ハヅキ、ファヅキ、ハヅチ
奄美大島 ハヅキ、ハジキ、ハリヅキ、ハジチ、ツキュン、ハリツキ、ハジキハリ、テイチキ、アヤハヅキ
加計呂麻島 ハヅキ、ハジキ、ハンヅキ
与路島 ハンヅキ
徳之島 ハンジキ、ハンヅキ、テハンヅキ、アヤハンヅキ
沖永良部島 ハンジキ、ハンジチ、ハジチ、アヤハジチ、パンジキ、アヤハンヅキ、タマハンヅキ
与論島 パンジキ、ハンジキ[4]
沖縄諸島 伊平屋島 ファジチ
沖縄本島 全域 ハジチ、ハジキ
国頭 ハジキ、ファジチ[4]辺土名
大宜味 ファジチ[4]
金武 ファジキ、ハジョキ、ハヅキ、ハジュキ
名護 ファドゥキ、ピジキ、ハドゥキ、パジキ[5]
恩納 ファジチ
宜野座 ファルチ、ハルチ
読谷 ハジチ[1][4]、ハジキ[1]、ハヅキ
首里 チチュン
那覇 ハジチ[4]、ファジチ
糸満 ハザキ、カシキ、ティーツク
久高島 パリキ[5]
久米島 ハジチ[5]、ファジチ
宮古列島 池間島 ハジチ、ハイヅキ[5]
大神島 ペイツク[5]
宮古島 全域 ピーツキ、ピーヅキ、ピヅツキ[5]、ピーツク[5]
平良 ピャイツキ、ハジチ、ハイヅキ、パイヅツ、ハタカラガマ、イリズミ
城辺 ピヅツキ、ピヅキ
上野 ピツキ、ピヅキ
伊良部島 ピーヅキ、ハイヅキ、パイヅツ、パイヅチ[5]
多良間島 パヅツク、パヅツ、パリツク[5]
水納島 パイツキ
八重山列島 石垣島 テーツキ、ティツク
竹富島 ティーツキ、イルヅキ
黒島 ハヅキ、テーチキ、テーシキ
与那国島 ハジチ、ハディチ、テーチキ

施術と図案

針突は多くの場合、結婚前の若い女性がおこなうものである。成人儀礼としての意味を有すとともに、地域によっては既婚者の記号でもあった[6]。針突の施術者は専門職であり、「針突師」や「針突大工」などと呼ばれた[7]。針突に用いる道具はおもに墨と針であり、焼酎で皮膚を消毒したのち、墨汁をつけた針で皮膚をついて施術をおこなった。入れ墨をほどこしおわったのちは、炎症を防ぐため焼酎で消毒するほか、おからでこすることもあった[8]

針突の模様は地域によってさまざまである。針突は手にほどこすものであり、概して指背・指の付け根・手の甲・尺骨下端部に彫り入れる、奄美群島の場合は手首の掌側、八重山列島の場合は前腕全体にもほどこす[9]

針突の地域差
右から奄美大島・徳之島・首里・宮古島・八重山の針突

歴史

前近代

622年の『隋書』には「琉求国中国語版」の風習として「婦人、墨をもって手を黥し、虫蛇之文と為す」という記述がある。この琉求国が琉球のことであるか、台湾のことであるかについては議論の対象になっているが[10]、小原一夫はこれが仮に台湾のことであったとしても、この地域の入れ墨の風習を考える上で重要な記述であると論じている[11]

1461年(天順5年)の『大明一統志』には「婦人、墨をもって手を黥し、龍虎文と為す」と記述があり、伊波普猷はこれを針突に関する最古の記録であると論じる。一方で、この記録は『隋書』の引き写しである可能性も否定できず、より確実な記述としては、1534年(嘉靖11年)の『使琉球録』にある、「其の婦人、直に墨をもって手を黥し、花草鳥獣之形と為す」が最古のものである。日本側の資料としては、1605年(慶長10年)に袋中が記した『琉球神道記』に針突に関する記述がある。1721年(康熙60年)の『中山伝信録』によれば、尚益王の時代にはこの習俗を廃止する議論もあったものの、古くからのしきたりであり、宗教的な含意もあったゆえに早急な判断はできないとして、引き続きおこないつづけることとなった[12]

近現代

1872年(明治5年)、日本政府は法令で入れ墨一般を禁止した[13]。奄美に関しては1876年(明治9年)に文身禁止令が発布されたが[12]、沖縄に関しては1899年(明治33年)になるまで針突は禁止されなかった。1880年(明治13年)の旧刑法においても入れ墨は禁止されていたが、県より沖縄において針突を禁止することは難しいという上奏があり、厳格な取り締まりは敬遠された。一方で、そうした状況下においても針突廃止運動はとりおこなわれた。針突は「野蛮きわまるもの」として糾弾の対象になり、ある小学校では針突を済ませた女生徒が「蛮人」であると糾弾され、塩酸で焼却するように仕向けられることすらあったという[14]。禁止令以後、都市部では針突は比較的早く廃されたが、宮古・八重山列島などにおいてはその限りではなかった[15]。また、針突師がいなくなった後は、子ども同士で針突をほどこす「ハジチアソビ」も広く行われた[16]。とはいえ針突は昭和初期までには廃れ[15]、針突は次第に負の文化と認識されるようになっていった[17]

戦後、軽犯罪法の施行により日本国内で入れ墨を禁止する法的根拠はなくなった。1980年代より沖縄県内の各自治体が針突に関する調査研究をとりおこなうようになり、1990年代には多くの報告書が刊行された[18]。トライバルタトゥーとして針突を再興しようとする試みも存在し、針突師の平敷萌子は、2022年の『琉球新報』の取材に対して、これまで50人ほどに針突を施術したと答えている[19]

出典

  1. ^ a b c 読谷村史編集委員会 1995, p. 277.
  2. ^ a b 吉岡 2021, p. 138.
  3. ^ 吉岡 2021, pp. 139–140.
  4. ^ a b c d e 市川 1983, p. 12.
  5. ^ a b c d e f g h i 市川 1983, p. 13.
  6. ^ 吉岡 2021, p. 153.
  7. ^ 吉岡 2021, p. 156.
  8. ^ 吉岡 2021, pp. 158–159.
  9. ^ 吉岡 2021, p. 161.
  10. ^ 吉岡 2021, p. 133.
  11. ^ 小原 1962, p. 18.
  12. ^ a b 吉岡 2021, pp. 134–136.
  13. ^ 宮下 2015, p. 56.
  14. ^ 山本 1997, pp. 89–90.
  15. ^ a b 吉岡 2021, p. 137.
  16. ^ 山本 1997, p. 90.
  17. ^ 山本 1997, p. 91.
  18. ^ 山田, 豊「失われた沖縄の文化「ハジチ(針突)」記憶の継承」『デジタルアーカイブ学会誌』第7巻第3号、2023年、129–133頁、doi:10.24506/jsda.7.3_129 
  19. ^ 琉球新報社 (2022年4月10日). “「クール」と海外で好反応 沖縄の入れ墨「ハジチ」 手彫りに込めたルーツと歴史へのリスペクト”. 琉球新報デジタル. 2024年10月10日閲覧。

参考文献

  • 市川重治『南島針突紀行 : 沖縄婦人の入墨を見る』那覇出版社、1983年5月。doi:10.11501/12170006 
  • 小原一夫『南嶋入墨考』筑摩書房、1962年。doi:10.11501/9580954 
  • 吉岡郁夫『いれずみ(文身)の人類学』雄山閣、2021年7月27日。ISBN 978-4639027836 
  • 宮下規久朗「世界の中の日本の刺青」『美術フォーラム21』第32号、2015年、53-58頁。 
  • 山本芳美「「文身禁止令」の成立と終焉-イレズミからみた日本近代史-」『政治学研究論集』第5巻、1997年2月28日、87-99頁。 
  • 読谷村史編集委員会『読谷村史 第4巻 (資料編 3 読谷の民俗) 下』読谷村、1995年。doi:10.11501/9639927 

関連項目


針突(ハジチ)

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茶柱倶楽部」の記事における「針突(ハジチ)」の解説

古来琉球伝統成人女性の証にする、入れ墨

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