金角湾の城壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:37 UTC 版)
「コンスタンティノープルの城壁」の記事における「金角湾の城壁」の解説
金角湾に面した城壁は、港など海上輸送の設備をはさみながら、聖デメトリオス岬から5.6キロメートルにわたり西へ続き、ブラケルナエで陸の城壁に接続していた。そのほとんどは1870年代に鉄道建設のため解体されたが、城壁の存在した道筋や門、塔の所在地は正確にわかっている。城壁は海岸線からかなり内陸の線を通り、高さは10メートルほどあった。クリストフォロ・ブオンデルモンティによれば、海の城壁には14対の門と110本の塔があったという。ただ、ビザンツ時代のものと分かっている門は11対である。歴史を通じて、コンスタンティノープル北岸に面した地域は最も国際色豊かな部分であった。ここは商業の中心であっただけでなく、皇帝に帝都在住を認められた外国人の居留地も存在していた。その中にはミタートと呼ばれるムスリム商人地区もあり、モスクまで建てられていた。アレクシオス1世コムネノス (在位: 1081年–1118年)以降はイタリアのさまざまな商業都市国家にも広大な商業地区が与えられた。これらの地区は、海の城壁を越えて海まで達する自前の埠頭(skalai)も持っていた。
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