金策郡とは? わかりやすく解説

金策郡(城津郡、鶴城郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:54 UTC 版)

金策市」の記事における「金策郡(城津郡、鶴城郡)」の解説

1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡北道城津郡に以下の面が成立。(6面)上面南面中面・西面東面鶴城1920年 - 鶴城面が城津面に改称。(6面) 1931年4月1日 - 城津面が城津邑に昇格。(1邑5面) 1939年 - 城津邑の一部上面南面分割編入。(1邑5面) 1941年4月1日 - 上面中面の各一部が城津邑に編入。(1邑5面) 1941年10月1日 (5面)城津邑が城津府に昇格、郡より離脱。 城津郡が鶴城郡に改称1945年 - 上面および中面の一部合併し鶴城面が発足。(5面) 1951年 - 鶴城郡が金策郡に改称。(5面) 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道金策郡東面中面・西面および鶴城面の一部地域をもって、金策郡を設置。金策郡に以下の邑・里が成立。(1邑23里)金策邑・放鶴里徳満里・源津里炭素里・松中里・興坪里・水洞里・湖通里興里・業億里・細川里・東興里・東里龍湖里・城上里・臨溟里・玉泉里・院坪里・徳仁里・塔下里・使里・王徳里・春洞里 1953年 (1邑23里)金策邑が鶴城里に降格。 臨溟里が金策邑に昇格。 放鶴里一部興里に編入1954年 (1邑24里)金策邑が臨溟里に降格鶴城里および松中里・湖通里の各一部合併し金策邑が発足。 興坪里の一部炭素里に編入。 源津里が石湖里改称興里の一部分立し、上坪里が発足1956年 (1邑24里)使里が玉泉里に編入徳満里の一部分立し、青鶴里発足1961年初 - 青鶴里徳満里が細川里に編入。(1邑22里) 1961年2月 - 金策郡廃止金策邑・放鶴里・石湖里炭素里・松中里・興坪里・水洞里・湖通里興里・上坪里・業億里・細川里・東興里・東里龍湖里・城上里・臨溟里・玉泉里・院坪里・徳仁里・塔下里・王徳里・春洞里が金策市編入

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