金と自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)
啓蒙主義者・合理主義者ヴォルテールが見たように、金銭は信条・人種の違いを解消し、市場では生まれはあまり重要でない。しかし世俗性や通商法は、宗教的・封建的な人々にとっては、冷淡・機械的・非人間的にさえ見える。1826年にドイツから来た旅行者は、 〔ロンドンでは〕すべての目が利己心と貪欲で光っている と感想を残している。その20年後、ドイツ(プロイセン王国)の作家テオドール・フォンターネは、 〔イギリス社会は〕金という黄熱病におかされ、蓄財の悪魔に魂を売った と形容し、このような社会はやがて崩壊すると確信していた。フリードリッヒ・エンゲルスは、都市ですべての階級・地位の人々が、無差別かつ無関心に通り過ぎていくさまを団結の欠如と見て、「人間性が反発する何か」と評した。しかしこれは利点になり得るもので、都会の群衆や無関心は、人を開放することもある。19世紀イギリスをふくめ産業化過程にある国では、女性や田舎者が仕事・金・自由を求めて都会へ殺到した。産業化による荒廃・犯罪ギャング・売春宿等が待ち受けていても、人々は都会に流れ続けた。しかし一度去れば、田舎での確実な生活、固まった親戚関係、封建的・宗教的伝統への服従は失われ、それは時に猛烈な恨みを生む。
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