里見日本文化研究所の創立
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「里見岸雄」の記事における「里見日本文化研究所の創立」の解説
里見は渡航前から研究所の設立を希望しており、資金調達のため行商宣伝を行った。田中智学はそれを讃え勧奨の辞を記すと共に金200円を寄付した。里見は、大正13年11月26日、湘南藤沢を皮切りに全国45カ所を巡講し、約2万円の設立準備金を達成し、12月、兵庫県六堪寺に「里見日本文化研究所」の仮看板を掲げた。大正14年4月28日、開所式を挙行。日本語、英語、ドイツ語の創立宣言文を内外の代表機関に発送した。大正15年2月に機関誌『日本文化(現、国体文化)』を創刊。また、この時期に学的な成果として『日本国体学概論』を書き上げた。昭和2年、兵庫県西宮宮西町に施設が落成。同年9月24日に落成式を挙行した。当時4階建て80坪の建物は、西宮の一偉観であった。
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