里見氏と北条の和睦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 09:38 UTC 版)
氏照・北条氏邦らが結城氏や佐竹氏と衝突している同時期、氏政は小田原城を出陣して江戸城に入り、関宿へ向かう途中にあった。氏政の攻撃目標は北関東ではなく里見氏攻略にあった。9月に氏政が東上総から北条氏規が西上総に侵攻すると30日は武田豊信が従属。 10月になって里見義弘は和睦を申し出るようになり、氏政の次女竜寿院が義弘の嫡子里見義頼に嫁ぎ同盟関係を築くことになる(房相一和)。 氏政は小田氏治の要請を受け氏治のかつての本拠で梶原政景が守る小田城の攻略に向かいつつ、結城氏に再び圧力をかけたうえで帰陣した。
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