都祁山口神社 (奈良市)とは? わかりやすく解説

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都祁山口神社 (奈良市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/08 16:47 UTC 版)

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都祁山口神社

山門(奥に拝殿)
所在地 奈良県奈良市都祁小山戸町640
位置 北緯34度34分48秒
東経135度56分45秒
座標: 北緯34度34分48秒 東経135度56分45秒
主祭神 大山祇神
社格 式内社(大)論社
村社
創建 不詳
本殿の様式 一間社春日造桧皮葺
例祭 10月25日
地図
都祁山口神社
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鳥居

都祁山口神社(つげやまぐちじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁小山戸町にある神社式内大社論社で、旧社格村社大和国十四所山口神の一座。

祭神

大山祇神を主祭神とし、大国主命(国津神社祭神)を合祀する。

歴史

創建

創建年代は不詳だが、神武天皇の皇子神八井耳命の御孫である都祁直が闘鶏国造となり、小山戸に居住し氏神を祀ったのを起源とする。元々は都祁水分神社と隣接して建っていたとされ、神社の背後の山上字御社尾に巨石があり、元慶3年(879年)に水分神が白龍となって降臨した場所と伝える。都祁水分神社は天禄3年(972年9月25日に現社地(都祁友田町)へ遷座し、以後はその仮宮として関係を保った。在地氏族である都祁氏の衰退により社勢も衰微したが、都祁水分神社の仮宮として伝統を保っていた。

概史

延喜式には大社に列し、月次新嘗の官幣に預かっている。江戸時代には小山戸明神と称しており、近代社格制度では村社に列格した。

明治41年(1908年)には、大字相河の丸山に祀られていた国津神社を合祀した。

神階

境内

参考文献

  • 社頭案内板

関連項目




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