郷里への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 23:08 UTC 版)
埼玉県の産業界の要請で、銀行統合が行われ武州銀行が誕生すると、大川は請われて頭取に就任した。郷里の三芳野村(現・坂戸市)の困窮を救うため、財政支援を続け、教育や消防の施設購入に私財を注ぎ込んだ。特に郷里の学校の校舎の建築・校庭の整備に幾度なく巨費を投じた。坂戸市立三芳野小学校など数箇所に頌徳碑がある。 祖父・大川平兵衛の開いた道場は小畔川沿いの低地で、小畔川や越辺川はたびたび氾濫を繰り返した。1910年(明治43年)にも大洪水を引き起こした。このため1924年(大正13年)、全額私費で地元の原次郎の協力を得て、1.1kmの堤防を建設した。当時は、大河でさえ国の河川管理は稀であった。今日、それは「大川堤」と呼ばれ、大川道場跡は坂戸市の「大川平三郎翁記念公園」となっている。 また自身が貧しい幼年時代で、農村の衰退した現状を憂い、1924年(大正13年)に私財で「大川育英会」を立ち上げた。渋沢栄一もこの財団を創設から支えた。大川育英会は埼玉県出身の学生に奨学金を提供、就学の機会を与えている。
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