遺志、継がれる
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2011年(平成23年)秋の収穫祭を期に弥栄町における赤米栽培を「芋野郷赤米保存会」に譲るも、2012年(平成24年)6月17日の保存会の田植えに参加し、元気な姿を見せる。だが、そのわずか2日後に体調を崩して入院、療養するも快気には至らず、2012年(平成24年)8月12日、肺がんのため87歳で死去した。死後の2014年(平成26年)、京丹後市は市政10周年を記念した式典において、故人であるにもかかわらず芦田を功績者として表彰した。 あかごめ学校の生徒のひとりであり、芦田の中国への研究の旅に同道した京都文教短期大学学長の安本義正は、2014年(平成26年)、当地を「赤米の郷」とすべく京丹後市弥栄町芋野の吉野小学校図工室に開設されることとなった「赤米博物館」に、ブータンやフィリピンなどで入手した古代米の資料を寄贈し、講演を行った。 芦田の遺志を継いだ芋野郷赤米保存会(代表:藤村政良)は、2020年現在も弥栄町の70アールの田で赤米をはじめとする古代米の栽培を続ける。芦田から譲り受けた古代米の種籾6種から苗を育て、赤米や黒米を育てる。一部は2013年から復活栽培が始まった峰山町の水稲史跡「月の輪田」にも受け継がれた。また、同じく峰山町の峰山共同作業所では、2005年(平成17年)から芦田から譲り受けた赤米を峰山町五箇の水田で栽培し、染料とする取組を行っている。
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