遭難確定と捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 05:50 UTC 版)
「愛知大学山岳部薬師岳遭難事故」の記事における「遭難確定と捜索」の解説
下山予定の期日を過ぎても愛知大学パーティーとの連絡が付かなかったため、愛知大学は遭難した可能性が高いと判断。富山県警察に連絡を行い捜索を開始した。1月16日から第一次捜索隊23名が入山したが、後にサンパチ豪雪と呼ばれる極端な豪雪のため、登山口の折立峠の段階で3.6mの積雪となっており、生存していれば手がかりが残されているであろう太郎小屋までもたどり着けない状況となっていた。一方、マスコミでは大学生の大量遭難、かつ情報も少ないという中で取材競争が過熱化。後に、当時の取材状況をまとめた「マスコミ空中戦事件記者物語」といった書籍も出版された。その中で、1月22日、朝日新聞社のヘリコプターが太郎小屋脇への強行着陸。新聞記者本多勝一が小屋の中を確認して書いた「来た、見た、居なかった。太郎小屋に人影なし。」という記事はスクープとなった。1月26日、愛知大学の本間喜一学長は辞意を表明、教授会の反対にも関わらず結局辞任した。 結局、1月末までのべ2,336名、ヘリコプターのべ60機を数えた大捜索では、これ以上の手がかりが得られず、捜索はいったん打ち切られた。この時点で、5月の雪解けまでは捜索は困難と判断されていた。
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