遠山七頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:58 UTC 版)
岩村、明知、苗木、飯羽間、串原、明照、安木の7家で七遠山ともいう。安木(阿木)の代わりに大井が入る場合や、明照に代わって馬籠を入れる説もある。 岩村遠山氏- 惣領家。遠山景朝の子・遠山景員が祖。岩村城主。戦国時代に遠山景任の死で断絶し、天正3年に岩村城が落城して滅亡。 明知遠山氏 - 明知城主。遠山景朝の子・遠山景重が祖。江戸時代は旗本として存続。末裔に遠山景元(遠山の金さん)がいる。なお途中で土岐明智氏が名跡を継いだとする異説が存在する。 苗木遠山氏 - 苗木城主。祖は諸説あり。南北朝時代に活躍した遠山五郎がいる。室町時代に土岐氏から、戦国期に飯羽間遠山氏から養子を迎えている。江戸時代には苗木藩主となった。 飯羽間遠山氏 - 飯羽間(飯場、飯間)城主。宗家遠山景明の子・遠山景義が飯間姓を初めて名乗る。戦国期には苗木遠山氏の名跡を継承。武田氏の飯羽間城攻撃の際に、城主遠山友信の裏切りにより、落城・降伏。武田滅亡後に友信は信長に処刑され滅亡した。 明照遠山氏 - 明照(阿寺、阿照、阿照羅)城主。飯羽間遠山友忠が長子・友信に飯羽間城を譲ったのち城主となる。のち友忠の次子・遠山友重が継ぐが天正2年武田の攻撃で落城。 串原遠山氏 - 串原城主。上村合戦時は遠山右馬助とその子・遠山五郎経景がいた。武田氏による串原城落城後は、明知遠山氏に仕え明知遠山氏が江戸幕府の旗本(交代寄合)に就任後は家老となり、明治に至る。 安木遠山氏 - 安木(阿木、安城)城主。遠山景員の次男・遠山景賢が祖だという。
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