遠山事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:28 UTC 版)
明治4年(1871年)6月、慶の元へ熊本藩士の遠山一也が訪れ、イギリスのオールト商会と熊本産煙草15万斤の売買契約したため、慶に保証人になってほしいと頼んできた。遠山は熊本藩から派遣されたように装い、連署人として同藩の福田屋喜五郎の名を勝手に使い、偽の印を押した証書を見せた。また、遠山とオールトとの通弁を務めた品川藤十郎もしきりに連判することを勧めたため、慶は保証人を引き受けることにした。 ところが、オールト商会は遠山に手付金3000両を差し出したものの、期限の9月になっても煙草は全く送られてこなかった。そのため慶はオールト商会から手付金を返すように求められ、熊本藩と交渉し遠山家の家禄5ヵ年分に相当する約352両の支払いを受けたが、それが精一杯であった。実は、遠山は輸入反物で失敗し借金を返済するために慶を騙したのであった(遠山事件)。 明治5年(1872年)1月、慶はオールト商会から遠山、福田屋喜五郎と共に長崎県役所に訴えられ、慶も遠山と福田屋を訴えた。7月から8月にかけての判決で、遠山は詐欺罪で懲役10年の刑を受けるが、慶は連判したということで1500両ほどの賠償金を支払うこととなった。負債の3,000両(現在の価値でいえば約3億円ほど)と裁判費用及び賠償金を払うことになり、これで慶の信用も地に堕ち、大浦家は没落した。家財は差し押さえられ、毎日慶の家に取り立てが来ていたという。
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