遠山七頭と遠山三頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 23:44 UTC 版)
藤原利仁流の加藤景廉を祖とする『寛政重修諸家譜』などの諸系図による説で、異説もある。美濃遠山氏は、景廉が鎌倉幕府創設時の功績により遠山荘を含む数か所の荘園の地頭職を与えられたが、その長男の景朝が遠山荘を相続して岩村に居を構えたことに始まる。遠山氏は恵那郡を中心に岩村・明照・明知・飯羽間・串原・苗木・安木(阿木)の各城を拠点として七家に分かれて繁栄していた。この七家を遠山七頭(七遠山)と称したが、その中でも有力な三家の岩村・苗木・明知を遠山三頭(三遠山)と称した。
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