進歩的なイデオロギー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:51 UTC 版)
「リバーサイド教会」の記事における「進歩的なイデオロギー」の解説
1924年、ジョン・ロックフェラー2世はマンハッタン区アップタウンのモーニングサイド・ハイツにあるセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂にも50万ドルを寄付した。翌年1月、ジョン・ロックフェラー2世が建設資金を寄付したモーニングサイド・ハイツのインターナショナル・ハウスの寮長ハリー・E・エドモンズは、近隣地区に新しい教会を建設することを提案した手紙をロックフェラーに送った。この手紙の中で、エドモンズは進歩的な牧師ハリー・エマーソン・フォスディック(英語版)が新教会を率いることを提案した。ロックフェラーはこの手紙を受け取るとパーク・アベニューバプテスト教会の牧師と計画について協議した後、代理人を雇い新教会の建設予定地の視察へ向かわせた。 ウルフスキン牧師は1925年5月中旬に辞職し、ジョン・ロックフェラー2世は新しい牧師をフォスディックに決定した。しかし、フォスディックはロックフェラーの申し出を「この国で最も裕福な人の牧師として知られたくない」と数回断っていた。その後フォスディックは、教会がモーニングサイド・ハイツに移転するという条件の下で牧師となることを受け入れ、新教会は宗教的自由主義の方針に基づき教徒に洗礼を強制させず単立教会とすると述べた。1925年5月、フォスディックは教会がモーニングサイド・ハイツへ移転されるまでの間もパーク・アベニューバプテスト教会の牧師となることを決定した。フォスディックの牧師任命にあたって行われた教徒の投票で反対票を投じたのは全体の僅か15%であった。 フォスディックの指導の下で1930年までにバプテスト教会の教徒数は倍増した。また、フォスディックの掲げた宗教的自由主義の方針のため別宗教の教徒も教会へ参加するようになり、フォスディックの牧師任命後に参加した158人は多様であり、約半数はバプテスト教徒ではなかった。一部の既存の教徒はパーク・アベニューバプテスト教会が最近完成した建物から移転する必要があるかどうか疑問を抱いていたが、移転を支持する教会の理事会は移転に係る費用については教徒は支払う必要はないと述べた。
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