連続する災難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:22 UTC 版)
苦しい経営が続いている小田原電気鉄道に追い討ちをかけるように、災難が連続した。 1923年2月1日深夜には小田原市内の本社社屋が全焼する事態が発生、電気鉄道になってからの資料などが焼失してしまった。 震災により脱線転覆した電車 震災により倒壊した軌道線小田原駅 その後は仮社屋で業務を行なっていたが、同年9月1日には関東大震災が発生し、建造物はほとんどが倒壊し、軌道も歪曲や埋没などで破壊されるなど、軌道線・鉄道線・電力事業ともに甚大な被害を蒙り、「再起不能なり」とまで報道される惨状であった。この地震での被害総額は、当時の金額で約150万円にも上った。翌年から復旧工事が開始され、1924年7月9日には軌道線が全線で運行を再開、同年12月24日には登山電車も運行を再開、ケーブルカーも翌1925年3月に復旧した。なお、この復旧を機に、軌道線の軌間を1,372mmから1,435mmに変更しているが、これは焼失した路面電車の代わりに登山電車を軌道線に走らせるという意図もあった。 さらに、震災の被害から復帰した後の1926年1月16日には、小涌谷を発車した電車が速度制御を失い脱線転覆するという事故が発生した。 短期間に3度もの災難が襲った格好となり、これら一連の事件や事故の被害総額は当時の金額にして300万円にも上るものとなり、創立以来最大の経営危機に陥った。
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