迫害に死す
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1946年(民国35年)春、王造時は上海に移り、国共内戦反対の論陣を張った。中華人民共和国成立後に、王造時は華東軍政委員会委員、華東文教委員会委員、中国人民政治協商会議(政協)上海市委員会第1期常務委員、上海市各界代表会議特別招聘代表、上海法学理事となる。また教育界では、上海誠明文学院、上海前進中学、上海正平補習学校の董事長(理事長)をつとめた。1951年8月、復旦大学政治系教授となり、後に同大学歴史系教授も担当している。1954年12月には、政協全国委員会第2期委員となった。 しかし1957年3月、反右派運動の中で王造時は「右派」人士とみなされて批判に晒されてしまう。以後、教職からは追放され、復旦大学図書館で便所掃除をさせられている。1966年の文化大革命でもやはり批判対象とされ、同年11月21日、上海第一看守所に収監、迫害を受けた。1971年8月2日、そのまま王造時は獄死した。享年69。1980年5月、王造時の名誉は回復され、同年8月20日、上海市政治協商会議と復旦大学の合同主催により追悼会が開催された。
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