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近藤豊 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/27 00:57 UTC 版)

近藤 豊
こんどう ゆたか
生年月日 (1935-07-15) 1935年7月15日(87歳)
出生地 愛知県豊川市
出身校 東京外国語大学
所属政党 無所属→)
自由民主党→)
(無所属→)
日本新党→)
無所属

選挙区 旧愛知5区
当選回数 4回
在任期間 1979年10月7日 - 1986年6月2日
1993年7月18日 - 1995年9月19日
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近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本政治家外務官僚。元衆議院議員(4期)。

来歴・人物

愛知県豊川市出身。1957年外交官領事官採用試験合格。1958年東京外国語大学スペイン語科卒業[1]。同年、外務省に入省。アルゼンチンオランダ韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。

1979年の第35回総選挙旧愛知5区から無所属(公明党民社党新自由クラブ社民連推薦)で立候補して初当選[2]民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。

1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。

1990年2月の第39回総選挙も自民党公認(竹下派[3]で立候補し落選。同年3月、秘書が買収の罪で、運動員6人が被買収の罪で起訴されたが、近藤自身はとがめられなかった[4]

1993年7月の第40回総選挙において無所属で立候補して4期目の当選。その後、日本新党に加わった[5]

1994年12月、所得税法違反(脱税)と政治資金規正法違反(虚偽記載)の容疑で在宅起訴。1995年3月に名古屋地裁で懲役1年6ヶ月、罰金500万円の実刑判決が出された。同年9月19日に議員辞職した[2]

後に長男の近藤剛が、2000年の第42回総選挙では民主党公認で愛知15区から、2012年の第46回総選挙では日本維新の会公認で同じく愛知15区から立候補したが[6]、いずれも落選している。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「日本官界名鑑」1980年版 日本官界情報社
  2. ^ a b 前田和男 『民主党政権への伏流』ポット出版、2010年9月。ISBN 978-4-7808-0153-8 
  3. ^ 『中日新聞』1989年8月17日付朝刊、県内版、10面、「上村千一郎引退後の愛知5区 どう流れる“上村票” 後援会『草刈り場にさせぬ』」。
  4. ^ 『中日新聞』1990年3月17日付朝刊、30面、「2派11人を起訴 愛知五区違反」。
  5. ^ 日本新党では衆議院での当選回数が一番多い議員になった(近藤以外は当選1回)。
  6. ^ “『培った交渉力生かす』近藤 剛候補(47)維新・新”. 東海日日新聞. (2012年12月9日). https://www.tonichi.net/news/index.php?id=26104 2018年7月31日閲覧。 

参考文献

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
議会
先代
志賀節
衆議院安全保障委員長
1993年 - 1994年
次代
神田厚



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