近代:相撲の国技化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 13:29 UTC 版)
「女性は土俵から降りてください」の記事における「近代:相撲の国技化」の解説
1872年(明治5)年、太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁となったことから、再び女性の相撲観戦が解禁となった。相撲人気が低下していたため、当時の相撲関係者が元土佐藩主の山内容堂に打開策を相談したところ、「婦人をおろそかにしてはいけない」と助言されたという。 1884年(明治17年)には明治天皇が臨席した天覧相撲が開かれ、その後に相撲は「国技」と呼ばれるようになっていった。 1912年(明治45年)に、両国に相撲興行のための初の常設館が出来た事に由来する。当初の名称は「常設館」であったが、開館に先立って江見水蔭が起草したあいさつ文の文中に「角力は日本の国技」との表現があった。これを3代尾車(元大関・大戸平)が気に入り、「国技館」と呼ぶことを提案したという。 北海道教育大学岩見沢校社会科学研究室の吉崎祥司と稲野一彦は「相撲の社会的地位を向上させるため、明治以降に女人禁制といった虚構の『伝統』を創作することで神聖化を狙ったのではないか」と推測している。
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