近代製鋼技術による日本初の「鋼」の生産に成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 09:00 UTC 版)
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1882年(明治15年)ついに大河平は東京築地の海軍兵器局内ルツボ製鋼工場において、日本初の「鋼」の生産に成功し、近代洋式製鋼技術獲得の第一歩となった。この時は日本製のルツボは完成しておらず、イギリスのモルガン社のルツボを輸入して使用した。 大河平のルツボ製鋼は順調に進んだ。翌1883年(明治16年)1月には鋳鋼製錬を開始して同年9月には砲架用金物、普通刃物、ネジ、機関砲および弾子滑車類を製造し、10月には小銃および機関砲の素材も製造している。以後この海軍ルツボ製鋼工場は順調に発展していく。ここで製造された鋼は、創業当初から品質がきわめて優秀であった。 海軍は大河平のこれらの業績に対して高い評価をした。日本初のルツボ製鋼により鋼の産出に成功した時点で、一等技師にし、明治17年には海軍権少匠司に任じ、三等技師に任命している。次いで正七位に叙任させている。
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