近代・近世に廃止された渡船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:51 UTC 版)
「渡し船」の記事における「近代・近世に廃止された渡船」の解説
川口の渡し 荒川・新河岸川の河岸場を結ぶ、日光御成道に属する船三艘を有する官設の渡船で対岸を結んでいた。渡船場は「岩淵の渡し」や付近に善光寺があることから「善光寺の渡し」とも呼ばれ近くに善光寺があり、信州に行かず善光寺参りが江戸近郊で手軽に済ませられるとあって渡船場は大変な賑わいだったという。存在していた時期は定かではないが、渡船料の記録によると遅くとも1780年(安永9年)までには存在していたという。付近の荒川は平水時、その川幅は60間(約109メートル)程度であった。この渡船は1905年(明治38年)3月10日の舟橋の架設により廃止された。 七里の渡し 宮宿と桑名宿を結んでいた、かつての官道。1601年の東海道制定の際定められた。現在定期航路としては存在しない。 三里の渡し 佐屋宿と桑名宿を結んでいた。1634年、佐屋街道が東海道の脇往還に公認されたことで官道化。1872年に佐屋街道が公認から外れ消滅。 十里の渡し 宮宿と四日市宿を結んでいた。1601年に徳川家康の認可を受け誕生。1872年に公認から外れ徐々に衰退し、現在定期航路としては存在しない。集 荒川の水運』24-26頁。
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