近代フランスの拒否権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:20 UTC 版)
フランスで制定されていた1791年憲法によって執行権を持つ国王は、立法議会の立法権に対して拒否権を持っていた。この憲法では「フランス人の王」たる国王と、「主権の代表者」である議会の両方が国民・国家の代表であり、国王は議会を解散する権限を持たず、大臣には議員資格を持つ者の就任が禁止されていたため、拒否権は執行府にとっては唯一の立法府への関与の方法だった。立憲君主制や内閣制度を持つという違いはあるが、これらは先に成立していたアメリカ合衆国の法律によく似ていた。しかし、この憲法での拒否権は法案の停止を意味するだけで廃案にはできず、拒否された法案を議会で再提出はできないが、国王が同意を拒否した場合でも新しい議会が二度目の可決すれば法案は国王の裁可を受けたことになり、再び議会で三度目の可決をして提出すれば、国王の署名がなくても法案は法律として効力を持つという制度だった。議会の立法権の優越が一応は憲法に示されてはいるが、国王の抵抗に遭った場合には、法案の成立は非常に困難で、政治の停滞を生み出した。フランス革命と革命戦争の最中では、このような慎重な手順を踏むことは不可能で、それが第二の革命につながった。
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