近代ナショナリズムの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 20:09 UTC 版)
「ガリア起源説」の記事における「近代ナショナリズムの時代」の解説
1789年にフランス革命が勃発して王政が打倒されるが、このフランス革命を以って近代国民国家の始まりとされる。当時、フランス人達は、貴族をフランク人の末裔と見做し、他方、自分達をガリア人の末裔と見做したという。 その後復古王政時代となり、国王ルイ18世の后であったマリー・ジョゼフィーヌ・ド・サヴォワの墓碑には『ゴール人(=ガリア人)の王妃』と刻まれた。かくして、フランス人=ガリア人というイメージが形成されていくのである。 19世紀半ば、ヨーロッパでナショナリズムが吹き荒れていた。当然、フランスでも起きたが、その時に利用されたのがガリアである。当時、フランスは第二帝政の時代であったが、時の皇帝ナポレオン3世はアレシアで大規模な発掘調査を行い、その地にウェルキンゲトリクスの銅像を築いたのである。ウェルキンゲトリクスはフランス最初の英雄、ガリア解放の英雄とされた。
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