近代ドイツの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 23:08 UTC 版)
しかし近代ドイツにおいてクラウゼヴィッツの研究が全面的に肯定されることはなかった。クラウゼヴィッツの名前を有名にしたのは普墺戦争と普仏戦争の作戦を指導したモルトケによる評価に起因する。彼は敵の殲滅により勝利するというクラウゼヴィッツ的な理念を実践した軍人であった。またゴルツはクラウゼヴィッツをジョミニと並ぶ偉大な軍事思想家として高く評価している。 しかしシュリーフェンはドイツで出版された『戦争論』の第5版に際してクラウゼヴィッツを殲滅戦理論の創始者と評価していたことからも伺えるように、ドイツの軍事学者たちにとってのクラウゼヴィッツは絶対戦争を主張する軍事思想家であった。そのため二重構造となっている戦争理論が正当な評価を受けたわけではなかった。その結果として第一次世界大戦でドイツ軍を指導したルーデンドルフは『総力戦』においてクラウゼヴィッツの戦争理論は第一次世界大戦のような戦争の形態が登場したことで時代遅れであると断定し、政治の優位性の理論を逆転させて政治が戦争に従属することを主張した。
※この「近代ドイツの研究」の解説は、「戦争論」の解説の一部です。
「近代ドイツの研究」を含む「戦争論」の記事については、「戦争論」の概要を参照ください。
- 近代ドイツの研究のページへのリンク