近世での統制・近代での廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:09 UTC 版)
「陰陽道」の記事における「近世での統制・近代での廃止」の解説
幕藩体制が確立すると、江戸幕府は陰陽師の活動を統制するため、土御門家と賀茂氏の分家幸徳井家を再興させて諸国陰陽師を支配させようとした。やがて土御門家が幸徳井家を圧し、17世紀末に土御門家は民間の陰陽師に免状を与える権利を獲得して全国の陰陽道の支配権を確立した。江戸時代には、陰陽道はもはや政治に影響を及ぼすことはなくなったが、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く日本社会へと定着したが、その活動は、だましものと扱われた者も非常に多く、後の占い禁止につながるものである。それらを声聞師とよび、士農工商に該当しない、身分の低い賎民として扱われた。 明治維新後の1870年(明治3年)に至り、新政府は「天社禁止令」を発布し、陰陽道を迷信として廃止させた。天社禁止令による弾圧を逃れるために教派神道に所属した例もあった。神道修成派に多くの太夫が加盟したいざなぎ流や天理教の講である「明誠社」(現在は独立し天輪王明誠教団)を立ち上げた奥六兵衛の一派などがそれである。現代には土御門家の開いた天社土御門神道と、高知県香美郡物部村(現在の同県香美市)に伝わるいざなぎ流を除けば、暦などに名残をとどめるのみである。
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