賢所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 16:48 UTC 版)
皇居内の賢所に置かれていた三種の神器は、天皇の動座とともに松代に移される計画であった。当初、三種の神器を安置する場所は、舞鶴山地下壕の地下宮殿の奥に計画されていたが、「陛下に万が一のことがあっても、三種の神器は不可侵である。同じ場所には許されない。陛下の常の御座所と伊勢の皇太神宮を結ぶ線上に南面して造営し、しかもその掘削には純粋の日本人の手によること」と宮内省の強い指導があった。しかし工事を担当していた長野施設隊本部では、賢所の構造を知らなかったため、協議して東大工学部助教授であった関野克一等兵が担当することになった。本部では武藤清東京帝国大学教授、梅村魁東京帝国大学助教授を松代に招き意見を聞いた。 武藤教授の指示で、坑道を稲妻状に分岐させ、爆風を減殺することができる方法をとることにした。坑道が直線的な構造では坑道を長くしても爆風による被害を免れないと考えたからである。場所は舞鶴山の西、清水寺、西楽寺の真裏の弘法山の山腹に決まった。掘削要員は「純粋の日本人」ということで、静岡県熱海市の鉄道教習所の少年隊に決まった。7月初め現地で起工式が行われ、9月末に完成予定であったが、敗戦により中止となった。
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