賢性院日是大徳筆小塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:03 UTC 版)
「感応寺 (江戸川区)」の記事における「賢性院日是大徳筆小塚」の解説
賢性院日是大徳筆子塚(けんしょういんにちぜだいとくふでこづか)は1988年(昭和63年)に「江戸川区登録有形文化財・歴史資料」に指定された。 江戸時代、村には僧侶が読み書きやそろばんを教える寺子屋があり、その生徒を筆子と称した。筆子たちが建てた恩師の供養塔を筆小塚という。 感應寺の過去帳によれば、賢性院日是大徳は感應寺塔中の是林坊で筆子を指導したと伝えられ、文政6年(1823年)に没した。墓石の向かって右側面には「毫子中」の文字が刻まれ、左側面には「夢の世や 二十余年を月の露」の句が彫られている。
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