賊軍の旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:00 UTC 版)
幕府海軍に続き、1862年(文久2年)に創設された幕府陸軍も軍旗に日の丸を採用したことが、2年後の第二次長州征伐頃の幕府陸軍を描いた1864年10月8日付の英週刊新聞『イラストレイテド・ロンドン・ニュース』の挿絵より伺える。以降も幕府陸軍は日の丸を軍旗として使用していた。 戊辰戦争においては、鳥羽・伏見の戦いの2日目の慶応4年1月4日に、薩長同盟に基づく薩摩藩と長州藩を中心とする軍勢が朝廷から「錦の御旗」を授けられて正式に官軍(天皇・皇室、朝廷の軍)になったのに対し、それ以降の旧江戸幕府軍は賊軍・朝敵となり、戦局に決定的な影響を与えた。旧幕府方の彰義隊、会津藩(白虎隊など)、奥羽越列藩同盟の一部などは、自分たちの共通の旗として上述の「御国総標」たる日章旗を掲げて戦った。
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