資本制下における搾取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:08 UTC 版)
資本制下では、労働者階級は「労働の対価」としての「労賃」を等価交換で受け取っているという形態をとるので、一見、搾取は存在しないように見える。マルクス経済学では、古典派経済学は、労賃を「労働の対価」と見たために、搾取の存在と利潤(剰余価値)がどこから発生するかを見抜けずに、理論的破滅に陥ったとされる。なぜなら、原材料や機械の費用にあたる費用部分も等価交換し、「労働」にあたる費用部分(いわゆる「労賃」部分)も等価交換するのでは、どこからも利潤が生まれないからである。 カール・マルクスによる資本制下での搾取の暴露は、以下のようなものである。労働者は労働を販売するのではなく、一日(一定期間)の労働力を販売する。労働力は一日(一定期間)で消尽される。資本家は労働力を買ったときに、一日の使用権を得る。他の商品と同じように、労働力という商品を、どんなふうにどれだけ使うかは買い手の自由である。そして、労働力商品は、他の商品と唯一違った点をもっている特異な商品で、富(資本制下における価値)を生み出す特別な商品である。資本制下では価値の量は投下した労働量すなわち労働時間によって測られる。ゆえに、資本家は、まず、労働者を、労働者が社会的に生きていくのに必要な分だけ働かせる(必要労働)。これが労働力を再生産するのに必要な富の量、すなわち労働力商品の対価であり、「労賃」として現象する。つづいて、資本家は労働力商品の購入者としての権利を行使し、その必要労働分を超えて働かせる。この必要労働を超えて働かせた分が剰余労働であり、ここで生み出される価値を剰余価値という。資本制下における搾取は、この剰余価値の資本家階級による取得をさす。剰余価値は利潤の源泉である。この理論モデルによって、古典派の混迷の原因となった、商品経済の原則である等価交換原則を侵犯することなく、搾取を解明することが可能になった。 また、生産者が土地や機械などの生産手段から「解放」され、同時に封建的な身分拘束、土地への緊縛から「解放」されるという、二重の意味で「自由」な労働者が出現し、労働者が労働力を販売せざるをえないという歴史的段階になって初めて、資本主義的生産と搾取は可能になる。 マルクスの盟友エンゲルスは、剰余価値の発見を、史的唯物論の解明とならぶ「二大発見」と称した。マルクスは『共産党宣言』『賃労働と資本』などのころには搾取概念には到達しておらず、『資本論』1巻において初めてその解明に達した。『賃金・価格・利潤』にはその反映がある。
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