賀陽美智子とは? わかりやすく解説

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賀陽美智子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 10:24 UTC 版)

美智子女王
賀陽宮家、徳大寺家
昭和前期。
続柄 賀陽宮恒憲王第1王女

身位 女王降嫁
敬称 殿下 → 降嫁
出生 (1923-07-29) 1923年7月29日
死去 (2009-04-21) 2009年4月21日(85歳没)
日本東京都新宿区
配偶者 徳大寺斉定
父親 賀陽宮恒憲王
母親 恒憲王妃敏子
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賀陽 美智子(かや みちこ、1923年大正12年)7月29日 - 2009年平成21年)4月21日)は、日本旧皇族賀陽宮恒憲王の第1王女。母は同妃敏子九条道実公爵の五女)。旧名美智子女王。国際教育情報センター常務理事[1]上皇明仁再従姉にあたる。

略歴

1923年(大正12年)7月29日午前5時50分、賀陽宮恒憲王同妃敏子の第1女子として誕生[2]。御七夜の8月4日に「美智子」と命名された[3]

1943年昭和18年)12月9日徳大寺実厚公爵の次男徳大寺斉定との結婚が勅許。同27日、勲二等に叙せられ宝冠章を授けられる[4]。29日に徳大寺斉定に降嫁した[5]

1945年(昭和20年)9月、離婚した[6]。二人の間に子供はいない。その後、斉定は1946年3月に戦病死した。

1958年(昭和33年)より財団法人国際教育情報センターに携わり、理事に就任し、のち理事長となる。1986年(昭和61年)より株式会社菊医会名誉会長。2008年時点では、京都筆頭門跡尼院大聖寺伝来の煎茶道「永皎流」副総裁を務めていた。2009年(平成21年)4月21日逝去。

血縁

系譜

美智子女王 父:
恒憲王賀陽宮
祖父:
邦憲王賀陽宮
曾祖父:
朝彦親王久邇宮
曾祖母:
泉亭静枝子
祖母:
好子
曾祖父:
醍醐忠順
曾祖母:
不詳
母:
敏子
祖父:
九条道実
曾祖父:
九条道孝
曾祖母:
野間幾子
祖母:
九条恵子
曾祖父:
大谷光瑩
曾祖母:
大谷恒子[注釈 1]

栄典

著作

脚注

注釈

  1. ^ 木下俊愿の三女。

出典

  1. ^ 「FRIDAY」1989年1月26日増刊号p36-37
  2. ^ 大正12年宮内省告示第29号(『官報』第3301号、大正12年8月1日)(NDLJP:2955424
  3. ^ 大正12年宮内省告示第30号(『官報』第3305号、大正12年8月6日)(NDLJP:2955428
  4. ^ a b 『官報』第5088号「叙任及辞令」、昭和8年12月28日
  5. ^ 昭和18年宮内省告示第29号(『官報』第5090号、昭和19年1月4日)(NDLJP:2961594/7
  6. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、175頁。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。



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