徳大寺斉定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 14:29 UTC 版)
徳大寺 斉定 徳大寺家 |
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続柄 | |
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出生 | 1921年10月 |
死去 | 1946年3月 |
配偶者 | 美智子女王 |
父親 | 徳大寺実厚 |
母親 | 徳大寺米子[注釈 1] |
徳大寺 斉定(とくだいじ なりさだ、1921年〈大正10年〉7月[1] - 1946年〈昭和21年〉3月[1])は、日本の華族、賀陽宮恒憲王第1王女である賀陽美智子の夫。公家としての家格は清華家。徳大寺実厚の次男であり、兄に徳大寺公英、弟に徳大寺純明がいる。
略歴
1943年(昭和18年)12月9日、平安神宮宮司で貴族院議員の徳大寺実厚公爵の次男・徳大寺斉定陸軍中尉と美智子女王との結婚が勅許。29日に美智子女王と結婚するが、1945年(昭和20年)9月、離婚した[1]。
二人の間に子供は生まれなかった。その後、斉定は1946年3月に戦病死した[1]。
系譜
東山天皇の男系十世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 徳大寺斉定のページへのリンク