貨物運輸事業計画(未成)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:53 UTC 版)
「旭川市街軌道」の記事における「貨物運輸事業計画(未成)」の解説
旭川市街軌道は市内輸送を担う路面電車として知られているが、農産地である東鷹栖村(のちに旭川市に吸収)や鷹栖村の農産物や肥料などの輸送を行う貨物運輸営業を目論んだ時代もある。この地域の軌道敷設計画は、大正末期から昭和初期にかけて鷹栖軌道、鷹栖電鉄などが軌道敷設特許願を申請しており、旭川市街軌道も1930年(昭和5年)に師団線の終点、一線六号より一線十三号と三線十三号を経て比布村北二線六号に至る12.7km、三線十三号より鷹栖村十線十三号を経て十線四号に至る8.85km、十線十三号より十線十六号に至る1.76kmの3線計23.3kmで旅客・貨物運輸を行う軌道敷設特許願を申請した。貨物輸送については、師団線と交差する鷹栖専用線(国鉄近文駅 - 第7師団)の利用を目論み、師団線大町七丁目付近より分岐して鷹栖専用線2.7km付近に接続する0.5kmの貨物専用電気軌道の敷設特許願を申請し、札幌鉄道局に対して鷹栖専用線を国鉄営業線に変更して貨物駅を設け、一般貨物の取扱いを行うよう請願した。ところが、経済不況と既設線の営業不振、相次ぐ凶作による農村の疲弊などにより計画は頓挫、1933年(昭和8年)には計画を一線六号 - 鷹栖村十線十三号間8.89kmのみに短縮して再申請したが、結局は取下げとなった。 一方、鷹栖専用線の国鉄営業線化は旭川市長も競願の形で別途札幌鉄道局に請願し、貨物駅設置工事を市費等にて行う旨を示した。こちらも第7師団との交渉が難航して戦前には実現しなかったが、1950年(昭和25年)に国鉄函館本線の貨物支線に変更して旭川大町駅が設置されることで陽の目を見た。
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