財賀寺の創建~古代
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創建の時期や事情は定かでないが、寛政12年成立の『三河国陀羅尼山略縁起』によれば、神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基が本尊千手観音並びに脇侍二十八部衆を自ら刻んで開創、弘仁年中には空海が「陀羅尼山蘇悉地院財賀寺」として中興し真言密教の寺となったという。『縁起』の内容はそのまま史実とは断定できないが、現存する金剛力士(仁王)立像は平安時代後期、11世紀末~12世紀初にさかのぼる作で、この頃にはかなりの寺観が整っていたものと思われる。 平安中期の三河守大江定基は三河国に赴任中、愛妾力寿と死別したことをきっかけに世の無常を感じ出家し寂照と号したとの説話が『三国伝記』などに載るが、寺伝ではこの定基の念持仏が財賀寺文殊堂に伝わる文殊菩薩(秘仏)であるとされる。また、定基が力寿を弔う為に建立したとされる力寿山舌根寺は財賀寺の南方約1kmの地にあり財賀寺末寺となっていたが、宝暦年間に廃絶し、舌根寺参道には財賀寺の僧昶如によって安永5年(1776年)に建てられた石碑が残る。
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