財賀寺の創建~古代とは? わかりやすく解説

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財賀寺の創建~古代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 04:22 UTC 版)

財賀寺」の記事における「財賀寺の創建~古代」の解説

創建の時期事情定かでないが、寛政12年成立の『三河国陀羅尼略縁起によれば神亀元年724年)、聖武天皇勅願により行基本尊千手観音並びに脇侍二十八部衆を自ら刻んで開創弘仁年中には空海が「陀羅尼蘇悉地院財賀寺」として中興真言密教の寺となったという。『縁起』の内容そのまま史実とは断定できないが、現存する金剛力士仁王立像平安時代後期11世紀末~12世紀初にさかのぼる作で、この頃にはかなりの寺観整っていたもの思われる平安中期三河守大江定基三河国赴任中、愛妾力寿と死別したことをきっかけ世の無常感じ出家し寂照号したとの説話が『三国伝記』などに載るが、寺伝ではこの定基の念持仏財賀寺文殊堂に伝わる文殊菩薩(秘仏)であるとされるまた、定基が力寿を弔う為に建立したとされる寿山舌根寺は財賀寺南方1kmの地にあり財賀寺末寺となっていたが、宝暦年間廃絶し舌根寺参道には財賀寺の僧昶如によって安永5年1776年)に建てられ石碑が残る。

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