財務上の問題とグラスゴー・ペイズリー・アンド・グリーノック鉄道の合併
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「カレドニアン鉄道」の記事における「財務上の問題とグラスゴー・ペイズリー・アンド・グリーノック鉄道の合併」の解説
カレドニアン鉄道の設立から本線の開通までの時期に、近隣で企画されあるいは建設されていた他の鉄道会社と多くの借り受けおよび営業引き受けの契約が結ばれた。こうした契約のほとんどは、株主に資本あたりの収入を保証するという形で実施され、直ちに現金の支出を伴わないということを意味していた。路線が営業を開始すると、巨額の定期的支払いがすぐに必要とされるようになり、収入はそれを賄うには不足であった。また不適切な株式買収が暗示されており、1848年から1850年までの間に株主から多くの質疑があって不適切な慣行を明らかにし、1850年2月には多くの取締役が辞任しなければならなかった。 カレドニアン鉄道は、グラスゴー・ペイズリー・アンド・グリーノック鉄道(英語版)を合併する議会の許可を1847年に得たが、この会社に関連してさらに多くの財務上の不適切さを警告する情報が明らかとなっていき、カレドニアン鉄道は合併を中止する許可を得ようと検討した。しかし後に合併推進が決断され、1851年8月7日の法律により合併が実施された。グラスゴー・ペイズリー・アンド・グリーノック鉄道はグラスゴーとペイズリーを結ぶ路線をグラスゴー・アンド・サウス・ウェスタン鉄道と共同で営業しており、グラスゴーではブリッジ・ストリート駅(英語版)をターミナルとして使用していた。 これによりカレドニアン鉄道はグラスゴーでは3か所にターミナル駅を置いて列車の営業を行うようになった。ブキャナン・ストリート駅、サウス・サイド駅(クライズデール・ジャンクションからの支線上にあり、マザーウェルとハミルトンを結ぶローカル列車が主に使用した)、ブリッジ・ストリート駅(ペイズリー線上にある)である。 経済的な理由と、一部の借り受け契約は違法であったことが判明したことの両方により、財務上の問題は次第に管理できるようになっていった。気前の良い配当が支払われ続けていたが、1853年3月になってやっと完全に収入から配当が支払われるようになった。
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