豊吉一門(豊吉流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 17:04 UTC 版)
豊吉は門弟の育成にも優れ、門弟には『豊』の字を与えて(一部例外で『吉』の字を与えた門弟もあった模様)名取とし、豊文・豊藤・豊静・豊寿などがその代表格『豊吉流四天王』として知られる。他の著名な弟子に古今亭志ん生の次女・三味線豊太郎などがいる。戦後間も無く藤本二三吉の相三味線(専属伴奏者)だった藤本琇丈に『豊三郎』という名を用意してまで一門に誘ったこともあった(藤本が拒否したため実現しなかった)が、四天王をはじめ門弟のほとんどが独身女性であり(一説によると豊吉自身が弟子の結婚には否定的だったため)、豊吉の生前は結婚を隠し続けた弟子や、豊吉没後ようやく結婚した者もいた。また、市丸の実妹で相三味線(専属伴奏)であった静子も豊吉に和洋合奏の基礎を学んでおり、豊吉一門との共演も多い。 豊吉の直門はプロ奏者のみであり、その数が極僅かだったため豊吉の存命中は一般の三味線の流儀のように孫弟子・曾孫弟子というような広がりを持たなかった。そのため豊吉の没後は一門が霧散して独自に活動するようになり、それぞれがプロはもちろん素人の弟子も取って名取も許したが、既に四天王の全てが故人となり、現在活動している奏者は純粋な『豊吉流』の後継者とは言い難い。また、現在では歌謡番組も減少している上に、シンセサイザーによる代用で、生の三味線を使うことも極端に少なくなっているため、豊吉一門が築いた和洋合奏の伝統は途絶えつつある。 ちなみに、TBSラジオで放送されていた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のテーマ曲の三味線は豊吉門下の三味線豊文によるものである。
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