講道館四天王との稽古とは? わかりやすく解説

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講道館四天王との稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 22:29 UTC 版)

松井三蔵」の記事における「講道館四天王との稽古」の解説

1891年明治24年)、松井綾井武夫坂出市代議士)に伴われ上京した東京見物をするうち講道館見学しようということになった場合によっては講道館対し道場破りをしようという下心があり、しばらく柔道稽古見ているうちに「これはいける」という自信がついた。「稽古をさせてください」と申し込んだところ、嘉納治五郎はしばらく松井風貌をみていたが「よろしい、ではこの男と稽古してみなさい」ということになった。この時松井相手をしたのは、当時26歳警視庁世話係をしていた講道館四天王山下義韶であった松井三蔵無相流新柔術絞技逆技重視しており、絞め落とすか降参するまで来なければ勝負つかない稽古であった。これを「息つき試合といってどちらかが参るまで試合止めないというものである山下講道館柔道立ち技重視していた。 稽古となり、松井何回飛び掛かっていってもすぐ投げられる投げられる今度松井が絞や逆で応酬し殆ど落ちるまでいって離れる。これを十数繰り返し稽古終わった山下何回松井投げ倒したから自分の勝ちだと思い、また松井投げられただけでは勝負に関係なく何回絞めたり逆をとっているから自分が勝ちだと信じていた。 二人稽古見ていた嘉納は、これから講道館寝技取り入れなければならない痛感し松井逆に立ち技身に付けなければならない思った嘉納松井対しあなたは講道館とどまって、どうか寝技指導してほしい。またあなた自身講道館立技を身につけて帰ってほしい」と言ったとされる松井三蔵講道館に入らなかったが、後に講道館柔道有段者待遇となっている。

※この「講道館四天王との稽古」の解説は、「松井三蔵」の解説の一部です。
「講道館四天王との稽古」を含む「松井三蔵」の記事については、「松井三蔵」の概要を参照ください。

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