講道館柔道の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:09 UTC 版)
天神真楊流と起倒流を源流とする講道館柔道が創始された。「明治時代に全く新しい柔道が現れて、古い柔術と対決して柔術側を打ち負かし、柔術が衰退していった」と言う形で語られることも多いが、これはやや不正確であり、警視庁での採用を決定するための試合に講道館が勝利して警視庁に採用されたこと(警視庁柔術世話掛)と、学校体育への進出により、講道館柔道が全国的に広まったのである。警視庁では講道館柔道が採用されたことによって、警視流柔術は指導されなくなった。 草創期の講道館の人間は天神真楊流などの柔術出身者が多く、柔術側からも講道館柔道は新しい柔術の一流派くらいに考えられていた(講道館の道場開きに多くの柔術関係者が招かれている)。 明治後期になり、講道館柔道が全国に広まるにつれ、試合を講道館のルールで行う柔術道場が増えた。柔術が対決で負けて消滅したというより、柔術が柔道化していったのである。実際、高齢の柔道家で柔術の経験者の人間は未だ存在し、現在は柔道道場であるが、遡ると柔術の道場であった所も存在する。逆に、講道館は寝技で不遷流柔術などに何度も負けたため寝技を研究することとなったこともある。
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