調査開始まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:34 UTC 版)
「森巌寺 (世田谷区)」の記事における「調査開始まで」の解説
2004年(平成16年)6月中旬、森巌寺から世田谷区役所北沢総合支所に、墓地整備計画についての事前相談があった。同年7月5日に森巌寺と世田谷教育委員会は富士塚の取り扱いについて最初の協議を行った。世田谷区側は富士塚の保存を要望したが、森巌寺は保存困難と回答した。世田谷区は引き続いて8月にも富士塚の保存要望書を提出したが、森巌寺の回答は変わらなかった。2005年(平成17年)4月、森巌寺は墓石等移動通知のチラシを檀家に配布した。5月9日世田谷区教育委員会と森巌寺は協議を行った。世田谷区側は現状保存が不可能な場合、富士塚が世田谷区遺跡番号202の埋蔵文化財包蔵地であることが判明していることから、森巌寺に記録保存のための調査に協力するように依頼した。 富士塚の保存については、一般の都民からも文化庁文化財部記念物課に問い合わせがあったため、世田谷区は東京都教育委員会経由で森巌寺との協議の経緯について資料を提出した。この件について東京都は、保存が不可能な場合は事前発掘調査の協力を得る必要があるとの意見を添付した。5月11日には、地元の住民から富士塚保存の陳情が世田谷区議会事務局に提出されたが、5月30日に継続審議扱いとなった。 6月から7月にかけて、森巌寺と世田谷区教育委員会、東京都教育委員会、文化庁文化財部記念物課の間で経緯の報告や協議を繰り返した。その結果、7月25日に文化庁文化財部記念物課から改めて事前発掘調査について協議を行うように指導があった。森巌寺と世田谷区教育委員会は指導に従って協議を行い、墓地整備計画が認可されて墓石の移動が終わった時点で発掘調査を実施することで合意した。墓地整備計画は、2006年(平成18年)3月に認可された。森巌寺は、3月10日に埋蔵文化財発掘届を提出した。森巌寺、世田谷区教育委員会、そして森巌寺富士塚調査会は3月14日に発掘調査協定書、3月17日に調査委託契約書を締結した。
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