調査費計上に対して学生の闘いが激化
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「筑波移転反対闘争」の記事における「調査費計上に対して学生の闘いが激化」の解説
1968年6月20日には、評議会が筑波移転のための調査費約2700万円の計上(69年度予算への予算要求)を決定した。当然、文学部評議員は抗議の退席をしたので、文学部不在の決定であった。6月25日文学部学生大会はE館(文学部・教育学部棟)の封鎖を決定。6月29日、文学部学生大会は本館(事務棟)の封鎖を決定し、学生はこれを即時実施した。学生の「6.20評議会決定反対」運動は、理・教・農学部にも広がりを見せた。理・農学部では7月初めから、教育学部では10月からストライキに入った。 学生は9月13日に、全学闘争委員会(略称=全学闘)を結成した。これは、文学部闘争委員会などの各学部の闘争委員会の全学統合組織という意味であった。いわゆる全共闘は「全学共闘会議」の略であり、全学の闘う個人の共闘組織との意味である。両者にはこのような意味の違いがある。68-69年の学生運動を「全共闘運動」と言うことが多い。しかし、教育大闘争には「全共闘」はなかった。バリケード闘争をになったのは「全学闘」であり、反民青系セクトは、革マル派を含めてすべてこれに参加していた。全学闘は、9月23日に大塚キャンパスをバリケード封鎖した。 こうした学生の動きに、譲歩で解決を図る方向として、農学部教授会は9月25日に、調査費計上の白紙撤回を決定した。しかし、このような譲歩を認めない移転推進派は、10月17日に開催された評議会で、この決定を否認した。 10月3日、文学部教授の移転賛成派(大島清代表)が、「67年6月10日評議会決定」の支持を表明。11月20日、理学部長に移転慎重派の小寺明教授が選出されて、12月11日に就任した。しかし、15日に不信任されて辞任する。11月28日、評議会は、事態打開のための全学集会開催を決定したが、実施されなかった。12月7日、筑波推進派教官による「本学の正常化と発展を期する会」が第1回会合を持った。
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