語りものと唱導・説経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
古代にあっては音声による言語的伝達の営みを意味していた「語り」は、鎌倉時代以降は節回しをもった声と楽器が一体化したものをも含むようになった。これが「語りもの」であり、代表的なものに『平家物語』を琵琶にあわせて語る平曲がある。鎌倉時代後半には平曲が琵琶法師全体にひろまり、城一(じょういち)・城玄(じょうげん)・如一(にょいち)などによって当道座と称する座が組織された。 唱導は、仏法を説いて衆生を導く語りの芸能で、平治の乱のとき惨殺された信西の子で天台宗の僧澄憲は、その名手として知られた。澄憲の子の聖覚も唱導の名人で、聖覚が安居院に住したことから彼の家系は安居院流として唱導の本宗の地位をしめた。13世紀末葉には『普通唱導集』が編まれた。 説経は、鎌倉期から室町期にかけて唱導から発生した芸能で、やはり仏教の経文や教義を説いたが、これにもやがて節がつけられて後世説経節が生まれている。
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