誕生 - 美容の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:21 UTC 版)
愛知県名古屋市で、旧家の米沢屋家に生まれた。1930年(昭和5年)春、21歳で上京し、文化学院文学部専攻科を卒業し、婦人画報社に記者として勤めた。 横浜港に停泊していたアメリカ客船プレジデント・ウィルソンの美容室を取材した際に、電気パーマを目にして、「洗ってもウェーブが落ちない」として興味を持った。マヤが美容師を志すと、母親は驚き、学校での娘の恩師である河崎なつのもとを相談に訪れると、なつはヨーロッパの美容師の社会的地位などを引き合いに出し、美容師は決して卑しい職業ではないことを説いて、母を納得させた。 船の取材の2年後、山野千枝子の美容研究所に入所した。卒業後、銀座尾張町の美容師であるロシー上田に師事した。1934年(昭和9年)に25歳で独立し、新宿三光町に「マヤ片岡美容室」を開業した。「マヤ片岡」の名は、母校である文化学院で文学部の部長を務めた作家の菊池寛が、フランシスコ・デ・ゴヤの描いたマヤの絵やマヤ文明にちなみ、当時の「メイ牛山」「アーデン山中」など、カタカナの名を名乗った著名な美容家たちに倣って付けた名である。片岡姓は結婚後の姓であり、このときすでに、後の日本ヘアデザイン協会代表理事である片岡守弘と学生結婚していた。
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