誕生~音楽修業時代
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「ズデニェク・フィビフ」の記事における「誕生~音楽修業時代」の解説
1850年12月21日 当時オーストリア帝国の支配下にあったボヘミア地方のフシェボジツェ村(Všebořice)に生まれる。洗礼名はZdenko。父親Janはチェコの貴族アウエルスペルク伯Auerspergに仕える森林管理官、母親Marieはドイツ語を話すウィーン出身の女性だった。 1859年-1862年 ヘルマンのハウプトシューレに在籍。フィビフにとって初めての音楽教育となる、母親からのピアノの手ほどきは1859年から始まっている。 1862年-1863年 ギムナジウムに通った。 1863年-1865年 プラハのチェコ・ギムナジウムに通う。フランティシェク・チェルニー(チェコ語版)(フランティシェク・チェルニー)(ピアノの練習曲を書いた、ベートーヴェンの著名な弟子とは別人))の勧めにより、最初の作曲に取り組んでいる。1864年 スメタナの強い後押しにより、聖イグナツ教会のオルガニストに就任。 1864年-1865年 ジークムント・コレショフスキー(チェコ語版)(ジークムント・コレショフスキー) の私設音楽学校に通う。 1865年4月12日 自作の最初のホ短調交響曲を、自身の指揮で初演(Slavoj協会コンサート)。但しこの交響曲には、交響曲としての番号も、作品番号も与えられていない。ライプツィヒ音楽院に入学。ピアノをイグナーツ・モシェレス、和声をリヒターに学んだ。また同時に、ヤダスゾーンから対位法をプライベートレッスンで学んだ。
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