訴訟の和解に伴う和与状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 05:45 UTC 版)
鎌倉幕府の訴訟における和与状の例では、訴訟を担当する奉行や中人(ちゅうにん)と呼ばれる第三者の仲介で和与が当事者間で合意されると、和与状の作成が行われる。書出に「和与」と書き、続いて本文中に和与の条件を記し、書止に「仍和与之状如件(よって和与の状、件の如し)」と記した。そして、和与状は2通作成され、訴訟相手が署判した和与状を互いに受け取る方法と2通ともに双方の署判を入れてそれぞれに渡す方法が取られた。その際に2通の和与状の裏には担当した奉行2名が「為後証所加署判也」という文言を付け加えた後に署判をそれぞれに行った。これを「裏封(うらふう)」と呼ぶ。更に訴訟機関の名において和与状の内容をもって裁許(判決)するとした裁許状(和与裁許状)を発給して訴訟は終了となった。これによって和与は法的効力を持つこととなった。地域内部における訴訟や幕府と関係の薄い公家や寺社、荘園を巡る訴訟でも和与状は作成された。勿論、訴訟機関に届け出ることなく、和与状を作成して和与を行うこと(私和与)は可能であったが、訴訟機関による公式な裁許や和与のとりまとめがあった場合には私和与は無効とされたため、訴訟機関の裁許はその和与状の内容実現を保障する役割を担った。 訴訟の長期化は訴訟当事者や担当する奉行にとっても、経済的・精神的負担が大きかったことから、和与による訴訟の早期終結は望まれるところであり、訴訟機関側からの働きかけによる和与実現の例も増加することとなった。
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